プラセンタ注射の鍵
地域の健康づくり運動などを通して「健康というものが見えてきた」と話されました。
一方で、人間ドックのような検査方法が進んで、健康の基準を数値で判断する傾向が強まっています。
検査の数字を見ながら「まあ健康だ、この数値の範囲に入っているから大丈夫だ」とか、逆に正常値からはみだしていると「何か怖い病気が潜んでいるのではないか」と落ち込む。
あちこちでこんな光景が見られます。
悪い検査数値がでたら「自分のからだのあり方を変えていくスタートにしよう」ととらえる。
そこにドックのもっとも大切な意味があるのです。
数字だけにこだわる人は、例えばGOT(肝機能の指標のひとつ)の正常値の上限は四〇ですので、この範囲に入っていることが最大の目標になっています。
しかしこうした値は、統計処理によって「正常値をこのくらいにした」というだけの話です。
GOTが五〇の人でも健康な可能性は十分あるわけです。
四〇以下と区切られると、五〇は病気ではないかと思うわけです。
もうひとつの問題は、患者さんにそのようにパターン化した説明をする医療者がいることです。
すると一般の人たちは、「おれの数値は二五だから、三五のあいつよりいい」と喜んで、「よりましだ。
より健康ではないか」と思ってしまう。
逆に、少しでも悪いデータがでると過剰な心配をすることにもなりかねません。
多くの人たちは、ドックを受けたところで「今年も受けたのだから、もう安心だ」と思いがちで、多少悪いところがあっても「検査で終わり」としがちです。
そうですね。
肝心なのはその後のフォローです。
例えばコレステロールが少し高ければどのようにして下げるかを模索することが大切なのです。
いままでタクシーに乗っていたがこれからは歩こうとか、少し野菜を多く取る努力をする、そんなところに健康があるわけです。
喫煙の影響で悪いサインなり数値がでたとすれば、「たばこをやめられないだろうか」と考えることです。
この状態が健康である、と定義できるものはない。
自分が日々の生活のなかで思ったり考えたりしながらやっている過程のなかに、健康というものがあるということですね。
それにしても、検査の値で輪切りにして「いいか悪いか、○か×か」と判断をする手法はあまりにデジタル的に思えます。
いかにも今日的ですよね。
健康というのは不思議なものです。
健康と不健康の境はないのです。
デジタルとアナログ人の生理的なメカニズムも精神活動も、ストレスに対応するからだの仕組みも、時計の秒針のようなもので、境のない連続的な動きをしています。
アナログの世界なのですね。
それをコンビ一ユークーに象徴されるようなデジタル的手法だけで処理しようとすると問題も生じます。
現代社会そのものが、あまりにデジタル的になりすぎて、心身にきしみが起きているように思うのです。
先ほども話しましたが、くも膜下出血で倒れたときには不健康ということになるのですが、その前に脳に動脈痛が存在するという時期があるわけです。
しかし脳ドックでも、小さな脳動脈痛は見つからず、一見健康そうに見える。
だが、基本的には健康そうなだけなのです。
このように、一〇〇パーセント健康というのは、どの人にもありえなくて、ラインが引けません。
あやふやなところに健康がありますから、矛盾なく概念をまとめていくためには、ある過程・プロセスを健康というのが、最もすっきりすると思います。
しかし、これを説明するとなると分かりにくい。
そうしたなかで、マスコミが非常に分かりやすい形に集約してメッセージを送ってきた結果、健康に対して「○か×か」という単純化した考え方をつくってしまったようです。
話が飛びますが、「集団検診は無効、無意味。
むしろ無駄である」との意見もありますが。
ぼくたちがやってきた健康づくり運動は、検診からスタートして、それを土台に自分たちの生活を少しずつ見直していったのです。
そして、脳卒中の死亡率も激減させました。
検診はちゃんと受けていただいて、その結果をきちんと受け止めながら、足もとを問い直すことが大事なのです。
体質などいろいろな影響があって、無理な場合もあります。
しかし、変えようとする行動のなかに「健康というもの」が見えてくるような気がするのです。
検診をやり放しにする人にとっては、検診は無意味でしょう。
先ほど保健活動の話がでました。
厚生省が十年がかりで計画している「健康日本21」は、病気になることを未然に防ぐ一次予防を重視しています。
これまでの早期発見早期治療の方針に加え、保健活動・予防活動にも力点を置いたわけですが、どうお考えになりますか。
ぼくは公衆衛生の専門家ではなく地域の実践者ですから、一次予防というとらえ方にそうこだわりません。
もちろん、一次予防も大切に考えてはいます。
公民館など地域の集まりで、住民の皆さんと健康について話し合うときには、「自分たちの健康に関係するものは何か見直してみましょう」と問いかけます。
健康に関係するものは、まず労働です。
食事、運動、休養、余暇、教育、家族、環境や社会的な存在としての自分も健康にかかわっています。
健康というのはいろいろなものに影響を受けているのですね。
そんなことを理解し合ったときに、ひとつだけのもので健康は守れないことに気づきます。
例えば住んでいる地域の環境がよくなければ、自分たちの健康は守れません。
茅野市は、ゴミに対して九種十六品目の分別収集を実施しています。
市民としてゴミにどうかかわるか……その姿勢は、結局は環境を通して自らの健康につながるわけです。
また社会的な存在としては、年を取っても市民の一人として、自分が何かの役割を担うということが大切です。
そういうものを持っている人は、「がんなのですよ」と医師に言われても、明るく耐えていくことができるのです。
そういう話をしています。
命は三つのつながりのなかで守られているという話もしばしばします。
ひとつめは人と人のつながり、二つめは人と自然のつながり、三つめはからだと心のつながりです。
いまの時代は、その三つともとても危うい状況にあります。
―地域のなかで、ひざを突き合わせての交流ですね。
これは、医師が病院にいて患者さんを待っている―という従来のスタイルでは不可能です。
医師が地域にでて行かなければできない。
地域医療とは、患者さんの診察だけではありませんよね。
こうした地道な活動が、健康観を見つめ直すことになり、結局は一次予防にもつながるのでしょう。
市民の方の意識変化もありましたか。
例えば、お年寄りが、(健康にいいと宣伝され)何十万円もする寝具などに手をださなくなりました。
「景品をもらったから買わなくちゃ悪いんじゃないか」と思って、小金を持っているお年寄りは契約書にサインしてしまうのです。
何も誇大宣伝の寝具だけではなく、たくさんのものが「健康」をうたい文句に農村に入ってきます。
ぶら下がり健康器が使われないまま洗濯干しになっていたり、お腹の脂肪を取るためにベルトが振動する機械が放置されています。
村中が紅茶キノコに夢中になったこともありました。
そういった一つひとつが勉強になったのです。
地域みんなで勉強していくなかで、健康は何で守られているかが見えてきて、こうしたものに簡単にだまされることが少なくなってきました。
ほろ酔い勉強会1の病院では、毎月一回程度、一般市民を対象にした「ほろ酔い勉強会」も続けています。
プラセンタ注射が帰ってきました。さまざまなユーザーが楽しめるプラセンタ注射です。
プラセンタ注射の底値を徹底比較しました。プラセンタ注射をリーズナブルな価格で提供中です。
プラセンタ注射を使ってみましょう。プラセンタ注射に有効な成分の紹介です。
